2018年11月14日(水)にイグナーツ・センメルワイスの生誕200周年を記念し、東京・広尾にある日本赤十字社医療センターの敷地内においてセンメルワイスの胸像の設置、顕彰式典が行われました。
当日は、同病院の名誉総裁を務める皇后陛下が本式典にご臨席したほか、ハンガリーのパラノビチ特命全権大使、ハンガリー人材省医療担当副大臣のホルヴァート女史、センメルワイス・メモリアル・コミッティ委員長のロジバル教授、日本赤十字社医療センターの本間之夫院長、日本医師会会長の横倉義武先生、日本・ハンガリー友好議員連盟幹事長の河村建夫衆議院議員、日本産婦人科医会長の木下勝之先生、そして今回のプロジェクトの発起人であり、本実行委員会委員長代行の黒川清先生(東京大学名誉教授)をはじめ、多くの来賓の方々が出席をしました。
式典は、本実行委員会委員長で日本医師会会長の横倉義武先生による開会の挨拶から始まりました。その後、パラノビチ特命全権大使やホルヴァート副大臣などの挨拶と続き、センメルワイスの胸像の除幕式が行われました。
黒川清先生の挨拶で式典が終わりましたが、挨拶の中で、ハンガリーの医学部で学ぶ日本人学生が増えていること、その多くの卒業生が日本で医師として活躍していることが紹介されました。
※日本赤十字社医療センターは、小児・周産期医療を重点項目としている医療機関で、2000年にWHOおよびUNICEFから「赤ちゃんにやさしい病院(Baby Friendly Hospital)」として認定されており、その周産母子・小児センターの病棟から見える中庭がセンメルワイスの胸像の設置場所として選ばれましたが、これ以上ふさわしい場所はないと言えます。
イグナーツ・センメルワイス(1818~1865)
「院内感染予防の父」や「母親たちの救い主」と呼ばれ、手洗いによる消毒をすることによって死に至る病である産褥熱を予防できることを発見しました。しかし、当時は、微生物やバクテリアが人体に与える悪影響は理解されておらず、人の命を救うはずの医師自身の手が汚染されていたことが妊婦たちの死因であることは、医師たちにとって受け入れ難い事実で、センメルワイスのこの発見は学会などで認められることはありませんでした。
センメルワイスが在籍していた病院では、塩素水を使った手洗いを徹底したため、産褥熱による死亡率が劇的に落ちましたが、勤務先の病院を追われるなど数々の排斥を受け、人々の理解を得られないまま失意のうちに生涯を終えます。センメルワイスの功績が認められたのは、産褥熱の原因が連鎖球菌であると判明した彼の死後から20年以上も経ってからとなります。
センメルワイスが産褥熱の予防法を発見する際に統計学の手法を用いています。データの収集、集計、解析といった現代の臨床研究において必要不可欠な医学的根拠に基づく医療を当時、実践していました。ハンガリーの4医学部では、今日でもこのセンメルワイスの意志を受け継いだ科学的背景に基づいた教育が行われています。